潮騒

yaku中と呼ぶには未熟者のハムスターのブログです。遺書です。

あまり自分の前で泣くということのなかった母親が、最近何度も泣いているから、更年期かもしれない。私が泣かせているのだろうか。いや、それでも、当てつけかのようなセリフを吐きつけて、勝手に涙を流している。ように思えてきた。自分が言い返しても言い返さなくても、きっと勝手に泣いていたな。

 

人は自分の都合の良い様に、自分が一番綺麗に見える様に、人に話をする傾向がある。自覚がなくとも自分だってそうかもしれない。だから、まず「されたこと」は話しても、「したこと」はあまり話さないんだ。

友人に母親のことを相談すると、必ずと言っていい、酷いねだとか毒親だとか縛られちゃだめだとか、そういう風に私を庇ってくれるのだ。その度に本当に救われた気分になる。母との口喧嘩の最中は沸騰している頭も、冷めてくると自分が悪いのかなと自己嫌悪に陥る癖があるんだ。(母親にしてみれば、いい気分なのかもしれない。)

だがやはり、自分のしたことや、自分が母親にしてもらっていることは十分に話しているのか?と聞かれると、首を横に振ると思う。その為に疑問というか、もやのようなものが心に残る。そうして、母親に対して感謝の気持ちまでよみがえってくる始末だ。さっきまで憤慨していた脳味噌はバカだ。きっと恋人の愚痴を友人にこぼすひとたち、こういう経験があるのではないかな。

 

母親との関係が良い方向に転じたかと思えば、また…と、この繰り返しなのです。最近気づいたのだが、経済的にも精神的にも依存していると思う。どこかで見たダブルバインドという言葉、あれは自分の母を的確に表している。

小学生の頃、映画を見ていてつい命に対する侮辱のような言葉を言ってしまったことがある。あの時に飛んできた蹴りは痛かったよ。中学生の頃、夜中に過呼吸を起こした私を、何の感情も宿らないゴミを見るような目で見ていたよね。旅行に行き、靴擦れを起こして歩けない私を平気で置いて行ったよね。リストカットで傷ついた私の腕を見て、貴女は自分の手首をハサミで切ったよね。高校にうまく通えず寝込んでいる私にビョーキという言葉を浴びせ続けたよね。

私が本当に悩んでいて、抱きしめてくれたことが一度だけあった。本当に嬉しかった。千円を毎週渡されるより、そんなものは要らないから、二人の時間を作ってほしかった。

貴女には貴女なりの愛情というものがあるのでしょうけれど、それがすれ違ったまま結局今まで通うことが無かった。

 

変わってしまったよね。いや、変わっていないのかもしれない。子育てというものを模索した結果、貴女の脳は凝り固まってしまった。成人した自分から希死念慮が消えないのは、そうだよ昨日も話していたけど貴女のせいだよ。同時に自殺した身内の例を出して勝手に泣いていたじゃないか。わかっているのにそんなこと言うの?

いつも自分をよく見せようとしているように見える。こどもの為と言ってしている行動に母親の周りの人間は賛同し、賞賛の言葉を浴びせるのだろう。そうして自分を認めてくれる人だけを周りに抱えて、否定する人は消して。賛美に溺れて生きていくんだ。

 

大切な我が子を育てるためにお金が必要で、でも働きづめでは心に欠陥のある子供が育つ。だから金の無い奴は子供を作るな。不幸を生み落とすだけだから。